これは、上達の記録ではありません
このブログは、
字が上手くなっていく過程を記録するものではありません。
どれくらい成長したか、
どれだけきれいに書けるようになったか、
そうした変化を見せる場所でもありません。
私は、
「うまくなること」を目的に
この記録を始めたわけではありません。
生まれつき左利きで、
小学生の頃に文字だけを右手に矯正され、
それを50年以上、
正解だと思って生きてきました。
このブログで残したいのは、
成果ではなく、
判断です。
どの練習を信じ、
どのやり方に違和感を覚え、
何を続け、
何を切ったのか。
その一つひとつを、
あとから都合よく書き換えないために、
記録として残します。
上達は、
起きるかもしれないし、
起きないかもしれない。
それでも構いません。
私にとって大切なのは、
曖昧なまま続けなかったかどうか。
このブログは、
その確認のためにあります。
私の条件について
- 生まれつき左利き
- 小1〜小6で矯正
- 文字だけ右で50年
- 他の動作は左
- 現在50代後半
なぜ今さら、師範を目指すのか
正直に言えば、
師範になりたいという強い憧れが
昔からあったわけではありません。
今さら新しいことに挑戦したい、
人生後半を充実させたい、
そういう理由でもありません。
私が今、師範を目指しているのは、
確認しないまま終わらせられないことがあるからです。
生まれつき左利きで、
小学生の頃に
「文字は右で書くものだ」と教えられ、
それを疑わずに50年以上過ごしてきました。
困ったことはありませんでした。
仕事にも、生活にも、
特別な支障はなかった。
だからこそ、
ずっと考えないようにしてきたのだと思います。
けれど50代後半になり、
残りの時間を意識するようになって、
ふと思いました。
この50年間の矯正は、本当に正しかったのか。
もし答えを出さないまま終われば、
私はきっと
「まあ仕方なかった」と
自分に言い聞かせて終わるでしょう。
それができないから、
私は師範という
逃げ場のない基準を選びました。
自分に甘い感覚や、
その場しのぎの納得ではなく、
一定の水準を求められる場所で、
この手がどうなるのかを確かめたい。
師範になること自体が
目的ではありません。
そこを目指す過程で、
この選択は正しかったのか、
それとも思考停止だったのか。
その答えを、
はっきりさせたいだけです。
このブログとYouTubeの関係
私は、
この記録を
YouTubeとブログの
2つの形で残します。
ただし、
同じことを
繰り返すつもりはありません。
YouTubeで残すのは、
手と時間の記録です。
どの文字を書いたか、
どれだけ書けたか、
どんな出来だったか。
そうした評価は、
あえて言葉にしません。
書いている最中の迷い、
止まった瞬間、
50年の癖が出た動き。
それを、
編集せず、
できるだけそのまま残します。
一方で、このブログでは、
動画で行った練習の
解説や復習はしません。
ここに書くのは、
その日の判断だけです。
何を信じたのか。
なぜ違和感を覚えたのか。
どこで迷い、
何を切ると決めたのか。
YouTubeが
「起きたこと」だとしたら、
このブログは
「どう扱うと決めたか」です。
同じ日を、
同じ視点で説明することはありません。
2つを並べることで、
あとから見返したときに、
行動と言葉が
矛盾していないかを
確認できるようにするためです。
逃げずに残す、ということ
私は、
師範になるかどうかよりも、
途中で判断を曖昧にしなかったかどうかを、
このブログに残します。
